斎藤 利 三。 長井道利~中濃衆~義龍に父との決別を促し明智を滅ぼす・出自も最期もナゾ残す人物

戦国武将・斎藤利三 | 世界人物館

斎藤 利 三

さらに竹田氏から大谷氏、宇田氏から葦崎・志比氏、疋田氏から千田・熊坂氏などが分かれた。 斎藤道三を殺害した父・斎藤義龍が、1561年5月11日に急死 享年35 すると、14歳の斎藤龍興があとを継いだ。 忠頼の子斎藤吉宗は 弘岡斎藤氏の祖となる。 しかし道三は義龍よりも、その弟である孫四郎や喜平次らを偏愛し、ついに義龍の廃嫡を考え始めたとされる。 広園寺梵鐘銘文には、応仁2年(1468年)に 大江(長井)広房の寄進とあると確認できるそうです。 もしかして・・どこかの間者であり、 (有力候補としては甲斐の武田家ですが。

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斎藤利三 明智光秀の重臣として明智家を支えた勇将

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斎藤道三は稲葉山城主となり、さらに守護 を追い、 下克上によって美濃を押領しましたが、 弘治2年(1556年)、斎藤義龍によって死去します。 斎藤利三の逸話 利三の一族 利三は二人目の正室(稲葉一鉄の娘)との間に斎藤利宗、斎藤三存、末娘の福が生まれ、福は後に江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母となり、春日局となります。 なお、長井道勝改め井上道勝は、 98歳まで長生きしたと伝わっています。 ただ、、私としては、斎藤道三は実の父親であり、 その父親に対して複雑な思いを抱き、 そうした思いがまた道利自身の原動力にも なっていたのではないかと思えてなりません。 の関係などから見るに、そうした事情でに流れ、初め幕府に仕えた後、が落ち着いてきたところで戻ってきたのかもしれない。

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斎藤氏

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しかし、の後援を得た頼芸は、先に追放されの庇護を受けていた頼純(これ以前にその父政頼は死去していたと推定される)と連携を結ぶと、両者は土岐氏の美濃復辟を名分として朝倉氏と織田氏の援助を得、美濃へ侵攻した。 美濃国の大名・と同姓ですが血縁は別の系譜であり、本来の美濃斎藤家の一族です。 (佐々木哲学校より)• 『武将感状記(砕玉話)』には町外れの草庵に住んでいた庄五郎を土岐(誰か不明)が推挙したというが、海音寺潮五郎の史伝『武将列伝』では、「日運という有力な後援者がいるのと矛盾している」として疑問視している。 利三はその計画の無謀さから、秀満とともに反対したといいます。 藤原北家利仁流斎藤氏 鎮守府将軍・藤原利仁の子叙用を祖とする。 ともかく、氏や氏とは親戚関係にあった。 で城代に任命していた部隊が中心と、援軍・軍により二度も森軍を撃退する。

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【明智光秀家臣:斎藤利三】最期まで恩義に報いた重臣の生涯に迫る

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父はまたは(後述)、子に 、(龍元、龍重)、(龍之、龍定)、(利堯、玄蕃助) 、(利興、利治)、日饒(妙覚寺19世住職)、日覚(常在寺6世住職)。 このような経緯もあり、織田信長は斎藤利三に切腹を命じて、那波直治を戻すように1582年5月27日に決定を出したが、その4日後に が起こった。 (、演:)• そして、長井道利の生涯を追っていくと、 この人は一体何がしたかったのだろう?と疑問に思います。 の仲介で一旦和睦するも斎藤龍興は破棄して、美濃河野島で織田信長勢を1566年閏8月8日急襲したがこれが最後の勝利となった。 光秀の丹波平定後、1万石を与えられて主となり、統治にあたる。 利三はこれに従い、その後は稲葉氏の家臣となります。

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斎藤利三とはどんな人物?光秀の重臣として信頼されて活躍した武将の生涯に迫る│れきし上の人物.com

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ルイス・フロイスは著書「日本史」において、斎藤龍興の事を「非常に有能で思慮深い」と記載している。 斎藤姓も用いたが、地名から取り、為延の子為輔が方上氏(進藤氏)を称し、その弟斎藤為頼の子である斎藤頼基・斎藤成真・斎藤為永らがそれぞれ竹田氏・宇田氏・を称した。 今来た道を振り返ります。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 娘は徳川家光の乳母・春日局 麟祥院所蔵の春日局蔵です。 父は斎藤利賢、母は蜷川親順(室町幕府の重臣)の娘という説がある。 滅亡後は・石頼も臣に加わった。

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斎藤利光(斎藤利宗)とは 斎藤利三の3男で春日局の兄 » 歴史観 武将などの人物情報・史跡情報

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年齢的には斎藤義龍とそれ程離れていない、 とも伝わっているそうです。 「永禄三年六角承禎条書について」『岐阜史学』72号、1980年。 天文7年()に美濃守護代のが病死すると、その名跡を継いで 斎藤新九郎利政と名乗った。 (、、演:)• その後、規秀は「斎藤利政」(のちに道三)へと改称して、 守護代斎藤家を継いだ、とされます。 その「利三」も「本能寺の変」の後、羽柴秀吉との山崎の戦いでは先鋒として活躍しましたが敗れて逃走してしまいます。

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明智光秀の叔母 明智光継の娘 が、斎藤利三の父・斎藤利賢の継室に上がった事で、同じ土岐一族である明智家と親戚の絆も強くなったようだ。 また、 は(『美濃明細記』)の子で道三の弟(『』) とも、または道三が若い頃の子であるともされる。 の方は利三の・ 石頼を養子とする形で。 富加町史編集委員会『富加町史』下巻 通史編、、1980年、233 - 242頁。 或いは弟、であっても 斎藤道三とは父親が異なる弟で、 正当な「長井」さん。 (、、演:)• なお、長宗我部氏も信長の裏切りには反発しましたが、のちの史料から降伏を決意していたことがわかっています。 その後裔はそれぞれ 越前斎藤氏と 加賀斎藤氏の2系統に分かれた。

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