聖なる ズー。 濱野ちひろ「聖なるズー」

青春と読書

聖なる ズー

インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。 動物を「妻」や「夫」と呼び、ともに生きる人々がいる。 ウェブストアに14冊在庫がございます。 おぞましい動画や画像を目にして、気持ちが萎えた。 ドイツの犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」の話である。 けれど、そこに本当の意味での意志の疎通はあるのか。

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動物を愛し性を意識する人々 『聖なるズー』

聖なる ズー

~本書第6章「ロマンチックなズーたち」より 「セックスのときは、動物のほうから誘ってくる」と口にする彼らに困惑したり、彼らの言動を理解できずに悩んだりすることもあったが、著者は全体を通して彼らに共感し、感動し、多くのことを学ぶことができたと書いている。 彼らにとって、パートナーの犬が自分と同様に、対等に成熟しているという最たる証拠は、犬に性欲があるということだろう。 自身が自明と信じ込んでいることが実は全く違うのだということをここまであからさまに示してくれる読書体験はそうそうない。 動物と心が通じ合う側面はあるのだろうが、もともと裸で寝ていたりして彼らの性的な本能を刺激しやすいのも確かだろう。 フリーズしたのは、書かれているモチーフに衝撃を受け、そしてページから動物の臭いが漂ってくるような気になり、なんで、自分はこの本読ん でんだっけ?と思ってしまったからです。 著者は京都大学大学院博士課程文化人類学でセクシュアリティについて研究をしている濱野ちひろさんだ。

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「聖なるズー」書評 人間の定義揺さぶる真摯な問い|好書好日

聖なる ズー

動物をペットや家畜のような保護すべき対象ではなく、「人間と対等で、人間と同じようにパーソナリティを持ち、セックスの欲望も持ついきもの」として捉える。 つまり、ズーを一括りにすることすら、本来は憚られるのだ。 読んでいる間ずっと何か違和感を覚えていた。 そういった意味でも良い機会を頂きました。 動物や世界との関係性の問題なんだ」 ねずみの群れと生活する、あるズーはこのように語っている。 性暴力を受けた経験がある著者は、怖さのあまり、熱くもないのに汗が流れたそうだ。

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聖なるズーの通販/濱野 ちひろ

聖なる ズー

帯にセンセーショナルな「動物との性愛!」などの言葉が並ぶのでドぎつい内容を想像してしまうけど、なんてことない人間ではない動物をパートナーとして生きていくことを決断した人達の人生に真摯に寄り添って書かれた本。 でも、それが真意かどうかまではわからない。 「たまたま愛した相手が同性だった。 多分、人間は進化の過程で脳がそのように「進化」してきたのだろう。 相手との関係が対等ではないということだけで、本来は怒っていいし、逃げていい。

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「僕の初恋は近所に住んでいたオス犬だった」開高健ノンフィクション賞受賞作家が語る“動物性愛”の世界

聖なる ズー

でも、論文では自己を開示する必要がありません。 セックスの本能が先にあってセクシュアリティが発生するとは限らない。 最初、ズーときいて抱いた感覚は、本書を読んで偏見だとわかった。 そう思ったとき、戦慄するような気持ちでした。 著者はパッシブ・パートの人々の饒舌さを、暴力性を回避しているからこそのものだと指摘していてたいへん興味深く感じた。 一般的には、動物とのセックスは性的な快感は低くても、満たされている気分は人間より上のようである。

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青春と読書

聖なる ズー

ズーたちがそれについて語るくだりも、本書の読みどころの一つである。 動物性愛という言葉から獣姦だけを想像すれば、おそらく多くの読者も「受け入れられない」と村井さんと同じ反応を示すだろう。 筆者の被DV体験が対比として語られた時にそれは明確になる。 動物性愛は、動物に対する心理的愛着に重きが置かれていて、動物に対する暴力的な行為は含みません。 しかし、それだけが正解とも思いません。

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「聖なるズー」書評 人間の定義揺さぶる真摯な問い|好書好日

聖なる ズー

筆者が取材したドイツの彼ら彼女らが正しいとか正しくないとか断ずることは筆者と同じく出来ない。 テーマも刺激的で、きっとこれから話題になるだろう。 もし優れた本が読む前と読んだ後に見ている風景が変わってしまうものなら、わたしには本書はその一冊だった。 おそらくヒステリックな反応も生み出しかねない一冊では有りますがわたしは身体、自身の性丸ごと問い返すインパクトを受けました。 ではいったい動物性愛とは何なのか。 謎深きズーについて、著者である濱野ちひろさんに話を聞いた。 社会規範や常識によってノーマルとアブノーマルで切り分けられたとき、彼らは異常のほうに属すとされるのです。

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